宮崎勤が事件を起こしていた内容は私にとってとてつもなく衝撃的な内容でした。読んでいてとてもつもなく苦しい気持ちにもなりました。事件の内容を知った時、いったいこの人はなぜこのようなひどい事件を起こしたのだろうかなど動機がとても気になりました。
今回は私なりに動機を考察してみようとおもいます。
宮崎勤事件の事件
1988年から1989年の1年間で埼玉県と東京で幼女4歳から7歳の女の子を誘拐し、バラバラの遺体で発見された残虐な事件です。
- 1人目:某市の自宅マンション近くで失踪、山奥でで絞殺し殺害。殺害後幼女をビデオカメラで撮影をし死体を埋める。半年後に殺害現場から幼女の発行柄した頭部を持ち帰り自宅の庭で焼き遺骨をダンボールに入れて幼女の自宅の玄関前に置く。
- 2人目:自宅近くから幼女が失踪し、行為後に絞殺。
- 3人目:幼女の自宅マンション近くから連れ去り絞殺。全裸の絞殺死体が山林で発見される。
- 4人目:幼女の自宅マンションから失踪後、某霊園内簡易トイレの裏で体がバラバラの状態で発見される。
その子の手首は食べたと自供しました。
事件を起こした場所は?
とてもわかりやすい写真があったため引用させていただきます。
宮崎勤事件の動機を考察してみた
この事件を起こした動機は何なのか本当に考えさせられます。
事件を起こした動機は裁判でも明らかにはされておりません。
色々調べた結果思った事をまとめてみますと
- 可愛がってもらっていた祖父に生き返ってほしかった。
- 自分の子供がほしかった
という内容がよくでてきます。
自分の子供がほしかったという宮崎勤は自分の手で殺してしまえば自分の物になると信じていたのでしょう。そして祖父の復活を心から信じており、幼い幼女達が生贄となってしまったのです。
精神的に病気を疑われて、精神鑑定も行っております。
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