宮崎勤事件の家族や親戚の現在は?その後の母親や父親に妹について!

宮崎勤さんの事件「宮崎勤事件」を覚えていますか?少し忘れ気味だった時に思い出すきっかけになったのが10月7日のスペシャルドラマで宮崎勤さんの事件について放送されるようです。

この宮崎勤事件をきっかけに家族や親戚はとてつもなく悲惨で辛い思いをしました。
今回は宮崎勤事件のその後家族や親戚に降り掛かった悲惨な出来事を宮崎勤一族末路まとめとして調べてみようと思います。

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宮崎勤の家族構成・親戚まとめ

事件を起こした犯人の宮崎勤だけがではなく、家族や親戚まで事件後悲惨な思いをしました。犯人の宮崎勤だけが世間から怒りをというわけではないんですよね。宮崎勤が事件を起こしたことにより家族・親戚は外も歩けない状態になりました。

宮崎勤の家族と親戚

宮崎勤の家族構成

  • 祖父
  • 祖母
  • 父親
  • 母親
  • 長女(妹3歳下)
  • 次女(妹8歳下)

宮崎勤の親族構成

  • 叔父2人(宮崎勤の父親の弟)
  • 母方の叔父2人(宮崎勤の母親の兄)

宮崎勤の家族と親戚のその後が悲惨で辛い思いをする

冒頭でもお伝えしました通り、宮崎勤が事件を起こしたことにより宮崎勤の家族・そして親戚まで世間は冷たく当たり外にもでれる状態ではありませんでした。

宮崎家には事件後に大量の嫌がらせの手紙も送られてきて家族は辛い毎日を過ごしてました。
これは昔だからというわけではなく現在も同じような事件が起きたら家族・そして親戚まで事件を背負わないといけないのでしょうね。

宮崎勤の家族と親戚が現在どうしているか調べてみました。

父親の現在

宮崎勤の父親は現在自殺をし亡くなっております。

宮崎勤が事件を起こし、家族、そして親戚までが世間から冷たい目で見られ苦しんでしまいました。
もちろん被害者遺族への慰謝料を支払わなければならないため、家や土地、そして資産を全て売り手放しました。

その後苦しみから逃れるためか東京の多摩川にかかる神代橋から飛び降り、自殺しました。

母親の現在

母親の現在はどこにいるか全くわかりません。宮崎勤が起こしてしまった事件により家族・親族がバラバラになり宮崎勤を憎んでることでしょう。

なぜなら母親は宮崎勤の死刑が執行された後、遺体の引取を拒否し「適当に処理してほしい」と伝えたそうです。

産まれた時は未熟児で産まれ「勤ちゃん」と呼び大変可愛がっていたようです。就職後にキャッシュで180万円を支払い日産のラングレーをプレゼントするなど溺愛しておりました。
しかし事件後愛情など全くなくなったのでしょうね。むしろ事件を起こしたことにより家族や親族、そして父親を自殺まで追い込んだ宮崎勤を憎んでると考えるのが普通です。

もう思い出したくない気持ちもあるでしょうし田舎や誰も知らないところで身を隠しながら住んでると想像します。

長女と次女の現在は?

長女は事件後、勤めていた会社を退職し、結婚が決まってましたが婚約破棄となりました。
次女は看護学校に通っておりましたが、事件後退学しております。

2人共現在はどのように過ごしているかも、母親と会ってるかもわかりませんが疎遠になってるのではないでしょうか。自分の家族が事件を起こすと、その家族の人生も全て壊れてしまうということがわかります。

事件が起き、家族に世間が辛く当たるのももちろん理解できますが、これから先の未来が見えていた妹2人まで人生が地獄に変わってしまったんだなと思うと少し悲しい気持ちにもなりました。

父方の叔父2人の現在

宮崎勤の父親の弟2人共、仕事を退職し離婚しております。5つの会社の役員という肩書を持っていましたが全て辞職されたようです。
親戚といえど、父親の弟2人の奥さんは同じ家族・親族として思われたくなかったのでしょうね。きっと奥さんの実の家族も離婚を勧めたのでしょう。

父方の叔父もまさか事件をここまで一緒に背をわなくちゃいけないんだなと思いましたね。それほど悲惨な事件だということも再度感じます。

母方の叔父2人の現在

母方の叔父2人の職業は警察官と高校教師でした。もちろんこの2人も事件後に警察官と高校教師を退職しております。警察官は身内が事件を起こしたら退職しなければならないというのは聞いたことがあります。

ご結婚されていたかはわかりませんが、恐らくお二人も離婚をしたか、または退職後引っ越してひっそり暮らしているでしょうね。

祖父について

宮崎勤の祖父について興味深い記事を見ました。それは宮崎勤の祖父が亡くなった3ヶ月後に宮崎勤は犯行を犯したようです。

祖父は幼いころから宮崎勤を可愛がっていたようでかなり甘やかされていたようです。祖父が亡くなり、精神的にも辛かったのですかね。まぁ精神的に辛い事があってもこのような事件を犯していいわけ絶対ありませんが。

宮崎勤について

  • 名前:宮崎勤(みやざき つとむ)
  • 生年月日:1962年8月21日

埼玉県の連続幼女誘拐殺人事件の容疑者として逮捕され死刑判決がでて、2008年6月17日に刑が執行されました。

埼玉連続幼女誘拐殺人事件について

この事件は4歳から7歳の幼い女の子が被害者になりとてつもなく悲しく悲惨な事件でした。

  • 犯行声明を新聞社に送りつける
  • 被害者の遺骨を野焼きにし、遺族に送りつける

異常な行為を宮崎勤は行いました。

第一の事件
1988年8月22日 – 当時4歳の女児Aが誘拐・殺害される。殺害後しばらくたち、死後硬直で固くなった遺体にわいせつ行為を行う様子をビデオ撮影している。動機について簡易鑑定の問診記録では、鑑定人に「どうして写真だけでは済まなくなったか」を聞かれた際は、第一次鑑定では「よくわかんない」、最後の被告人質問では「急に子供の頃が懐かしくなった」と、証言が曖昧であった。

第二の事件
1988年10月3日 – 当時7歳の小学1年生の女児Bが誘拐・殺害される。こちらはすぐさまわいせつ行為をしたが、この時点ではまだわずかに息があった模様で足がピクピク動いていたという犯人の証言がある。動機について供述調書では「何ともいえぬスリルがあった」、第一次鑑定では「よく覚えていない」「一番印象が無い」と述べ、やはり不明瞭。

第三の事件
1988年12月9日 – 当時4歳の女児Cが誘拐・殺害される。Cは失禁した。焦ったのか犯人は被害者を山林に投げ捨てた。12月15日、Cの全裸死体発見。12月20日、C宅に葉書が届く。この遺体の発見後、テレビで被害者の父親が「死んでいても見つかってよかった」と発言するのを見た犯人が他の被害者の遺体も送ることを計画するが、Bの遺体を発見できなかった。この際、山道に脱輪してたまたま通った車に助けを求め、「紺のラングレー」「ナンバープレートが3桁」という目撃情報が浮上する。

犯行声明
1989年2月6日 – A宅に紙片と骨片などの入った段ボール箱が置かれる。2月10日には「今田勇子」名でA事件の犯行声明が朝日新聞東京本社に郵送される。2月11日には同内容の犯行声明がA宅に届く。3月11日、「今田勇子」名での告白文が朝日新聞東京本社とB宅に届く。Aを入間川に沈めて殺したなど、事実と異なるいきさつが書かれていた。また後日これとは別に『告白文』と称する文章がマスコミ及び被害者宅に送りつけられる。極端に角張った利き手と反対の手で書かれたとも思える筆跡が特徴であり、筆跡鑑定が行われた。

第四の事件
1989年6月6日 – 当時5歳の女児Dが誘拐・殺害される。Dの指をもぎ、醤油をかけて焼いて食べた。また、ビニール袋に溜まった血を飲んだ。6月11日、Dのバラバラ殺人遺体発見。

逮捕のきっかけは

1989年7月23日にわいせつ事件を起こそうとした被害者の父親が取り押さえたことにより強制わいせつ罪で現行犯逮捕されました。
当初は事件と関係ないと思われてましたが宮崎勤が犯行を供述したことにより発覚したようです。

現行犯逮捕
1989年7月23日 – 東京都八王子市で幼い姉妹を狙った猥褻事件を起こす。妹の全裸写真を撮影中に姉の知らせを受けた父親に取り押さえられ、現行犯逮捕。父親は「D事件の犯人もまだ捕まっていないのに」と取り押さえた宮﨑を責めたが、後日それが連続殺人事件の犯人だと知って愕然としたと当時のマスコミの取材を受けている。

まとめ

宮崎勤の家族や親戚の事件後について調べてみました。宮崎勤が犯した事件とはいえ家族・親戚も事件を背負わないといけないという事がわかり少し感情移入してしまう部分もありました。

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